理性と本能と愛とセックスのお話。

どうも、Atomです。
最近モヤモヤ考えていたことを、文章にしてみます。
きっと数ヶ月後に「うわあああ!」ってなると思いますが、
今は気にしないことにしましょう。


割りと古めの表現技法に、頭の中で『天使ちゃん』と『悪魔くん』が戦う描写がありますね。
あれは正確には『理性ちゃん』と『本能くん』なのではと、最近思うのです。

なんだかラノベみたいな感じになってきました。
『理性ちゃんと本能くんとラズベリーパイの作り方』とか。
そんな話は戸棚にしまっておいて、本題に行きましょう。


ある日私は、「彼女が欲しいなあ。」と思いました。
すると、私の中の本能はこう言いました。


「適当にかわいい女の子とセックスができればそれでいいじゃん。
愛とか恋とか考えるの面倒臭いじゃん。
そんな事に頭を悩ませて日々を無駄に過ごすのはもったいないよ。
適度な体の関係で済ませたほうが良いんじゃない。」


「確かにそうだなあ。」と思っていると、理性がこう言います。


「やれやれ、そんな考え方は人として間違っている。
そういったことは愛し合っている者同士ですべきなのだ。
快楽に身を任せるなど、畜生共のすることだ。
セックスの為に彼女を作りたいとか、まるで猿だな。」


「そうだそうだー。」と思っていると
本能が呆れた顔で言います。


「君はいつも綺麗事ばかり言うね。
理想ばかり語って、頭が固くなっているんじゃない。
そうやって夢だけを見て暮らしていけばいいさ。
気がついたらおじいちゃんになって独りで死んじゃうのさ。
やりたいこともできない無味乾燥な人生に何の意味があるんだい。」


これを聞いた理性は、ため息をつきながら


「誠実に生きない人間が幸せになれるとでも思ったか。
性にだらしがない者を、誰が信頼したり信用すると思う。
本当に好きな人と、共に歩んでいける人生を求めるべきなのだ。」


と言います。


「それが綺麗事だって言うんだよ。
本当にそんな人生が送れるとでも思っているのかい。
本当にそんな相手が見つかるとでも思っているのかい。
くだらないね。実に滑稽だよ。
理想を描いて、そのまま死ぬんじゃないの。」


「空疎な恋慕の情に絆されて、道徳を疎かにするより幾分かましだと思うが。」


私は、彼らの間で正座をしながら話を聞き、
どちらとも付かぬ思考を延々繰り返しているだけなのです。


往々にして我々は、そのどちらにも振り切ることは無く、
中途半端な位置に立って左右に揺らぎながら生きています。


この揺らぎ(1/fではない)が各個人を形成する根幹ともなっていて
人間を人間らしく感じる要素なのかもしれないと思いました。


混濁し複雑に絡み合った思考の渦で溺れながら
今日も私はなんとか生きています。



ではでは。